5分でわかる女子的社会論「私たちは、変わろうとしている」#2

全能感に満ちた男たちの醜い悪事【エリートたちのわいせつ事件から考える】

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全能感に満ちた男たちの醜い悪事【エリートたちのわいせつ事件から考える】

「私たちは、変わろうとしている」
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2018年になっても、私たちをとりまく環境は何かと騒がしい——。それは、私たちが常に今を生きていて「これまで」と「これから」の間で葛藤を繰り返しているからなのかもしれません。

その葛藤や分岐点とどう向き合うべきか。エッセイストの河崎環さんに考察していただく連載「5分でわかる女子的社会論・私たちは、変わろうとしている」。

第2回は、話題沸騰の小説『彼女は頭が悪いから』(文藝春秋)から、理不尽さについて考えました。

えっと、どのわいせつ事件だ?

つばさが童貞を捨てたのは東大生になってからだ。簡単だった。東大理Iの男子という立場を得れば、すぐに足元に2枚の女子カードが並ぶ。それらのカードから、初めの練習に適したカードをひけばよい。1枚ひいた。すると次には、ならぶカードの数が2枚増え、また1枚選ぶと、次にカードが3枚増える。女慣れすればカードが増える。この法則は東大とは関係なく、古今東西にあてはまる。
——『彼女は頭が悪いから』(文藝春秋)/姫野カオルコ

直木賞受賞作家・姫野カオルコさんの新作書き下ろし小説『彼女は頭が悪いから』が、今夏の発売以来、反響を呼んでいます。そのテーマとなったのは2016年の「東大わいせつ事件」。

「えっと、どのわいせつ事件だ?」、私は素でそう思いました。というのも、ここ数年、日本全国の名門大学を舞台に、学生やら教授やらのひどく破廉恥で何かの欠如を露呈する問題が立て続けに報道されては忘れられ、もはや関東関西の有名大学は一通り全部なにかしらの不祥事を起こしているんじゃないか、くらいの印象だったからです。例えば「東大」「京大」「早稲田」「慶応」なんてブランド大学名と、「集団強姦」「集団暴行」「強制わいせつ」などの性犯罪用語をシャッフルするだけで「ああ、あれね?」とどれも存在したような気がするのは、もしや現代社会がすっかりわいせつ慣れしてしまったのでしょうか。

「東大わいせつ事件」とは2016年、5人の男子東大生がいわゆるヤリサーで女子大学生を泥酔させ、強制わいせつ行為に及んだ事件。女子大学生の頭が悪いとバカにしながら服を脱がせて胸を触ったり、下着を剥いだり、馬乗りになってカップラーメンの汁をかけたり、あまつさえ肛門を割り箸でつついたりしたといいますから、これを「そんな悪ふざけ程度」という者はお前がその「悪ふざけ」とやらをフルコース受けてヘラヘラ笑ってみろという、人権ド蹂躙(じゅうりん)的、屈辱的な所業です。

自ら帯に「非さわやか100%青春小説」と謳うこの小説のすごいところは、実際の事件に着想した作者が描きこむ、加害者側の東大男子学生と、その親たちの心理。実際に私たちが見聞きし体験したことのある、競争強者の座にあぐらをかき息をするように他者を蔑む人間の感情や自意識のありようがこれでもかと言語化され、その胸クソぶりには「よくぞここまで」と感嘆のため息さえついてしまうほど。

これは東大を頂点とする学歴ヒエラルキー社会を借りて、男女のヘドロのような(人格的、競争生物的、性的)コンプレックスと、その自意識の逆噴射としての醜悪極まりない傲岸不遜(ごうがんふそん)を描いた、まさに「青春小説」。青春という、人間の一生のうちで最もエネルギー値が高くホルモンのコントロールが利かず、自分が何者か分からずまして他者を理解しようなど1ミリも思わず、しかし愚にもつかぬ刺激だけはだらしなくも欲深に求める、井の中の蛙ゆえの全能感に満ちた「阿呆の季節」の話です。

ところが、この受験競争社会で歪な人格形成を果たし、バカ(世間では”エリート”)学生メンタルのまま人生まるっと週刊誌やビジネス誌のランキング頼りで判断、スイスイスーダラと人生を進んでしまって、わっかりやすく薄っぺらい「成功者」の称号を手にした大人が、これまた現代には大量発生しています。この小説ではそんな腐臭漂うおっさん/おばはんも、加害者たちの親として描かれている。仮にこの中に、あの恥ずいセクハラ問題で辞任しちゃったナントカ次官がいたとしても、「いるよねー」となんら違和感がありません。

「なにが悪いの、おれ?」

(性欲を満たすのに、ほとんど薬物に近いアルコール度数の酒を無理やり飲ませて気絶させ、死人同様になっている一人の女を、雑居ビルの一隅という路上同然の場所で、10人以上でマワしたって、そんなのは犯罪だ、酷いだのっていう前に、バカだろ、バカ。
しょせんは早稲田止まりだ。慶応もそう。『ミス慶応』をエサにするのに、自分の時間削って、イベントのしちめんどくさい手伝いして、おこぼれだけもらって、しょせんは親の金で下から慶応のバカだ。なんもしなくても大学名を言や、女のほうがパンツ下ろすのは東大だけなんだよ)
——『彼女は頭が悪いから』(文藝春秋)/姫野カオルコ

こういう競争強者のバカメンタルに、洋の東西はありません。好例はスタンフォード大学の名門水泳部でスター選手だった男子学生による、女子学生レイプ事件でしょう。酩酊して意識を失い地面に倒れていた女子学生をレイプしている現場を捕まっても「学業と運動面でこれまで手にしてきた栄誉を考えれば、(”たかが20分のレイプ”に与えられる代償は)重すぎる」とその彼の父親は擁護し、「(彼に約束されていたはずの、輝かしい)将来に深刻な影響を与えかねない」と担当判事はあっけないほど軽い量刑を言い渡し、全米で抗議運動が起こりました。

「被害者にも過失がある」。どのレイプ事件でも、強制わいせつ事件でも、痴漢行為やセクハラでも、必ず言われる言葉です。中学生の強烈に陰湿ないじめでも「いじめられる方にも過失がある」、リーマン同士の嫌らしい嫉妬に満ちた狡猾な足の引っ張り合いでも「あいつは脇が甘い」と、こういった力学の傾斜を利用したハラスメントやいじめの文脈、その延長線上で傍観者に過ぎないものたちが「される側にも過失がある」としたり顔で言い続けることなど、簡単です。

それは勝者を正当化する論理。「結果的に勝ってる」のが正義で「強い人」だから、「負けるのにも理由があるわけデショ。そんなことされるってのはさ、そいつに何かあるんじゃないの?」。

「被害者にも過失がある」と言う人は、翻って、自分にも同じ論理が適用されてヨシと同意署名しているのです。でも被害というのは常に理不尽に想定外に降ってくるものなのですよ。さて、勝者の論理を振りかざし、自分が被害を受ける側になどなるわけがないと思っていられるのは、いつまででしょうね。そんな人が理不尽に想定外に被害を受ける側になり、泥にまみれることになった時、どんな顔でその瞬間を迎えるのでしょうね? だって「そんなことされるってのはさ、そいつにも過失があるわけデショ」。

傷を負い血を流し泥にまみれて苦しむ人に、村人たちが集団で石を投げる人間の愚かな習性は、中世からなんら変わっていない。人間の愚かさの前には、進化もイノベーションもないのです。

力学のヒエラルキーの上にいれば、勝者正当化の論理で「なにが悪いの? 相手が弱いのが(バカなのが)悪いんであって、俺は(勝者なんだから、頭いいんだから)悪くないデショ」と言い続けられると思うのなら、そんな人がピラミッドから滑落してしまった瞬間は見ものです。

本日の参考文献:』(文藝春秋)/姫野カオルコ

(河崎 環)

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2018年になっても、私たちをとりまく環境は何かと騒がしい——。それは、私たちが常に今を生きていて「これまで」と「これから」の間で葛藤を繰り返しているからなのかもしれません。その葛藤や分岐点とどう向き合うべきか。エッセイストの河崎環さんに考察していただく連載です。

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