夫の腎臓をもらった私 第5回

「夫の腎臓をもらうのは私のエゴ」 日記につづった黒い気持ち

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「夫の腎臓をもらうのは私のエゴ」 日記につづった黒い気持ち

「夫の腎臓をもらった私」
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中学1年生の時に腎臓病になり、36歳で末期腎不全になってしまった、ライターのもろずみはるかさん。選択肢は人工透析か移植手術という中で、健康な腎臓を「あげるよ」と名乗り出たのは彼女の夫でした。

今回は夫がドナーに決まった理由と、「愛する人の健康な身体にメスを入れてもいいのか……」というもろずみさんの葛藤についてつづっていただきました。

「腎臓あげる」と名乗り出てくれたのは…

私は今年の3月に腎臓移植手術を受けたわけですが、忘れてはならないのは、その裏にドナーの存在があるということです。そもそもなぜ血縁関係のない夫がドナーになったのでしょう。それにはワケがありました。

もともと「腎臓をあげる」と名乗り出てくれた人は3人いました。実父と実姉、そして夫です。私の目には、3人とも迷いなく「あげる」と言ってくれたように見えました。

そこで2年前、「物は試しに」とクロスマッチングテスト(腎臓を提供する人に対する、主にHLAに対する抗体がないかどうかを調べるもの)を受けることに。

このテストを受けるためには一人当たり約7万円の費用がかかるため(移植したら1人分のお金は戻ってきます)、まずは3人に簡単な血液検査をしてもらいました。すると、その時点で「不適合者」となってしまった人がいました。父です。父は糖尿病のけがあり、医師に「テストを受けるまでもなくドナーに適しません」と判断されました。

姉は健康そのものだったのですが、ドナーになるためには、腎機能のほか肺機能や心機能など10項目の検査をする必要がありました。しかも、半年ほどかけてです。姉はアメリカ在住で夫と娘がいます。検査の度に帰国するのは金銭的にも時間的にも現実的ではありませんでした。

それと、やっぱり姉にお願いできない理由がありました。腎臓は2つしかありません。姉の夫や娘に何かあった時のために腎臓を大切にとっておいて欲しいと思ったのです。

夫の腎臓を「もらう」と言っていいのだろうか

こうしてドナーの候補として残ったのが夫でした。けれど、ここから葛藤は大きくなるばかりでした。考えても考えても、どうしても答えが出なかったのです。

「そうまでして生きる意味が自分にあるのだろうか」

夫婦間腎移植を行うまでに、自分が生きる意味をたくさん考えました。例えば、私には子どもがいません。責任を持って我が子の成長を見守る必要がないのです。だから、なにも腎移植をしなくても、人工透析をすれば生きられるじゃないか。腎移植にこだわる理由がどこにあるのだろうか。

また、夫がまだ30代であることも気がかりでした。父は「老い先短いから腎臓の1つや2つあげるよ」と冗談交じりに言ってくれましたが、夫にはこの先30年40年と未来があります。しかも30代は働き盛り。この先ビジネスマンとして大成するかどうか、夫は大事な局面を迎えていました。

病院から配られる小冊子。本当に移植手術を受けていいのか迷いながらページをめくった

病院から配られる小冊子。本当に移植手術を受けていいのか迷いながらページをめくった

移植を決断したのは私のエゴ

それでも移植を決断したのは、私のエゴです。移植をすれば子を授かれるかもしれないという夢を掴みに行ったのです。

それともう1つ。夫と私の関係性を考えたら、移植した方がしあわせになれるのではないかと思ったのです。

夫は、夫である前に親友です。息子のようで、父のようで、母のようでもあります。人は合わせ鏡なので、夫にとっての私も親友であり、娘であり、父であり、母であると思っています。

そんな関係の私と夫は、いつもなんとなく一緒にいます。「家が狭いとお互いストレスだよね」と言って、清水の舞台から飛び降りて一軒家を選んだのに、だいたい私と夫は2メートル20センチのソファの上に押し合うようにして生息しています。

もし人工透析をすれば、今後の人生は週に3回4時間ずつ家をあけることになります。それが寿命を迎えるまでの30年間続いたとします。単純計算で、4時間×3回×30年=18720時間ほど、夫婦で過ごす時間が減ってしまいます。

私たち2人の関係性を鑑みると、なるべく一緒にいられる人生の選択をした方が得策だと思ったのです。

手術前の日記につづった黒い気持ち

とはいえ、簡単に気持ちの整理がつくわけではありませんでした。例えば、手術する1ヶ月前、私は日記にこんなことを書いていました。

「天使のような夫の体を1ヶ月後に切り刻むことになった。そんなこと本当にしていいのだろうか。夫の体にメスを入れて、臓器を半分切り取る? そんなエジプトのミイラ職人みたいなことしていいの? それって深い洞窟の中で行う虐待なんじゃないの? そんな罪深いことをして夫の体が弱くなったり、気持ちが落ち込んだり、人生の歯車が狂ってしまったらどうしよう。手術前に何度も何度も考える。天使を傷つけた人間に未来などあるはずがない」

この葛藤を、そのまま主治医にぶつけたことがありました。

「愛する人の体にメスを入れるなんて私のエゴですよね。そんなエゴ許されますか。人体実験みたいなことして、世間様に顔向けできるのでしょうか」

すると医師は悲しそうな顔をしました。

「そう言われちゃうとなぁ……。僕ら医療関係者は世間様に顔向けできない治療をしているのか? そういうことになっちゃうよ」

八の字眉でそう言う医師の顔を見て我に返りました。なんて失礼なことを口走ってしまったのだろう。その医師は、週に2度ほど腎移植手術に執刀している人です。移植治療が現段階に置いて最善の方法であると信じて、人生をかけて患者に尽力しているのです。

この時、私は、心から覚悟を決めたんだと思います。この人を信じて、私も人生をかけてみよう。

手術当日、夫が来なくてもいいと思っていた

しかし、それはあくまでレシピエント(臓器を提供される患者)の思いにすぎません。大切なのはドナーがどうしたいかです。実は手術の前日まで、夫が本当に病院に現れるのか期待しすぎないようにしていました。

健康な人が身体を切り刻まれるのですから、そりゃ怖いはずです。

だから夫が来ないなら来ないで構わない。「だよね。実は私も移植手術は怖かったの。移植手術ではなくシャント手術(人工透析をするために必要な処置)に切り替えるね」と笑ってすませるつもりでした。

しかし、夫は約束の時間に病院にやってきてくれたのです。

生きていいんだ、私

現在、移植して2ヶ月が経ちました。正直なところ、いまでも「とんでもないことをしてしまった」と、夜中に飛び起きることがあります。

しかし、自分に生きる意味があるのかと思い悩むことはなくなりました。

答えをくれたのは、意外な人でした。今回の移植騒動とは関係のないある編集者でした。多分、関係のない人の言葉だから、冷静に受け止められたんだと思います。

その人は映画マニアで、なかでもミュージカル映画を愛する人でした。

「ミュージカルというものは『すべての人に生きていい』、と肯定しているんですよ。だから僕はミュージカルが好きなんやと思う」

彼にとって作品の良し悪しは、そのワンメッセージを貫いているかどうかです。だから『マンマ•ミーア!』や『アニー』は大好き。けれど、数年前にアカデミー賞を総なめしたあの作品には失望していました。

「あれは、生きることを肯定してへんのです。期待していただけに残念やったわ……」

彼の生き方を見れば、そこにこだわるのも頷けました。いつ見ても生きることに100%コミットしているからです。たまにはキツイこともあるだろうに、ダラけた姿は一度たりとも見たことがありません。コンディションに関係なくいつでも道化師になれる人で、彼の流暢な漫談で常に誰かが腹を抱えて笑っています。

以前はそんな彼の人生に対する姿勢を眩しく見上げていました。でも、いまは違います。憧れは共感に変わりました。

今度彼に会ったら、即座に腕をガシッとロックオンして、とうとうと話そうと思っていることがあります。

「いろいろ悩んだ結果、私は前向きに生きる選択をしました。そうして、私はいま、あなたの言う『ミュージカルの世界』に生きています。歌い踊るように、人生を謳歌しているんです」

夫と音楽と私。移植後は対話時間が増えました

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生きる。

ただそれだけで、私はしあわせです。

(もろずみはるか)

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