夫の腎臓をもらった私 第1回

夫の腎臓をもらった妻の話「削ぎ落とされても残るもの、それは愛でした」

SHARE
夫の腎臓をもらった妻の話「削ぎ落とされても残るもの、それは愛でした」

「夫の腎臓をもらった私」
の連載一覧を見る >>

中学1年生の時に腎臓病になり、36歳で末期腎不全になってしまった、ライターのもろずみはるかさん。選択肢は人工透析か移植手術という中で、健康な腎臓を「あげるよ」と名乗り出たのは彼女の夫でした。

けれど、もし自分の健康のためにパートナーの身体にメスを入れることになったとして、「当然だ」と思えるでしょうか、それとも——。もろずみさん自身の声で、手術のあと先について綴っていただきました。

もろずみさん(左)と夫(右)

もろずみさん(左)と夫(右)

夫の腎臓を1つもらいました

はじめまして、ライターのもろずみはるかと申します。私は中学1年生の頃から腎臓病を患っており、38歳の2018年3月に腎臓の移植手術(以下、腎移植)を受けました。ドナーになってくれたのは夫でした。

おかげさまで手術は大成功。術後6日で退院するほどで(退院から5日で再入院するという緊急事態も難なく乗り越え)、術後の経過も順調そのもの。人生の折り返し地点で命をわけてもらうことができました。

そんな人間が今後どう生きるか。私は夫や家族、友人、私と出会ってくださったみなさまに少しずつ恩返しできるような人生を歩みたいと思っています。

2年前、主治医に「あなたの腎臓は東京オリンピックまでもたないでしょう」と言われました。

できることなら抗いたかった。しかし医師の見立てというものは、そうそう間違わないのですね。筋書き通りに私の腎臓は2年で悪化し徐々に体が弱っていきました。あらゆるものが削ぎ落とされていく中で、最後に残ったのは愛でした。夫が2つある腎臓の1つを「あげる」と申し出てくれたのです。

2017年、私たちは夫婦間腎移植を決断しました。そして2018年3月、2人で手術室まで歩いて行き、本当に手術は決行されたのでした。結婚11年目の出来事でした。

日本国民の8人に1人が戦っている

この場をお借りして、腎臓病についてお話しさせてください。

慢性腎臓病患者は20歳以上の成人の8人に1人*いるといわれ、現段階において「全治するのが難しい病気」として知られています。末期の状態になると、人工透析か腎移植のいずれかを選択することとなります。日本に人工透析患者さんは約32万人**いらっしゃり、これを一度はじめたら(腎移植をしない限り)ずっと透析治療を受け続けることになります。

時間的拘束、精神的肉体的拘束など、透析患者さんの負担ははかり知れません。一方、腎移植は、悪くなってしまった腎臓に代わって、移植した健康な腎臓にその働きを代行してもらう治療です。慢性腎不全の根本治療に最も近い治療法とされています。

移植には、脳死または心停止後の腎臓を移植する「献腎移植」という方法もあります。これであればドナーに苦痛を与えず手術が行えます。しかしドナー登録者に対して、希望する患者の数がはるかに多く、年間1%強の人しか献腎移植を受けられていないのが現状です。待機期間は約15年***ともいわれています。

* 
**
***

そんな背景を鑑みると私が腎移植を受けられたことは、ある種のキセキです。だからこそ自分に与えられた医療と体験談を心の中に隠しとどめておいてはダメなんだと。データのお話ではなく、生身の、人の心で感じたことを語る意義があるのではないかと思いました。

病気で子を授かれんかもしれんけど、結婚してくれる?

冒頭で述べたように、私は中学1年生の頃に腎臓病を患いました。学生時代の友人にとって私は「ヤバイ持病を持つヤツ」でした。中高大といつの時代も友人らとバカをやって過ごしましたが、笑顔の裏で「自分は爆弾を抱えて生きている」といった思いが365日、頭の片隅にありました。もしかして結婚や妊娠出産は高望みなのかもしれない。私は自分に「不良品」というレッテルを貼りました。

しかし、夫と出会った22歳から少しずつ運命が変わりはじめます。まず、なんと、なんと、夫は私のプロポーズを受け入れてくれたのです!

「病気で子を授かれんかもしれんけど、それでも結婚してくれる?」

その時、私はあえて不躾(ぶしつけ)な物言いをしました。「重い女」と逃げだすなら、いまよ。夫には情に流されず正しい判断をしてもらいたかったのです。けれど彼は飄々(ひょうひょう)として言いました。

「子どもがいたら楽しそうだね。でも優先順位は低いかな。夫婦で長生きして老後に温泉旅行にでも出かけられたらいいね」

結婚11年が経過したいまも夫婦2人の生活ですが、夫は新婚さながらの愛情表現を欠かしません。私は夫がくれる栄養をたっぷり吸収して、いつしか「不良品とレッテルを貼っていた自分」を好きになっていました。

愛は鎮痛剤になる

話を移植手術当日に戻しましょう。移植後、全身麻酔がとけて目を覚ましたとき、私は反射的に夫の姿を探しました。

「夫はどこ? 無事だよね? 痛い痛いと苦しんでない?」

夫に会えたら、何よりもまずお礼を言おうと決めていました。

「ありがとう、ありがとう。あなたがしてくれたことを一生忘れません…」

移植後

移植手術後の様子

夢と現実を行ったり来たりしながら、私は夫の無事を祈りました。すると、のたうち回るほど痛いと聞いていた痛みをさほど感じませんでした。

もともと手術のダメージがあるのは織り込み済みでした。ドナーとレシピエント(腎臓をもらう人)は、命を共有するのです。そりゃ大変だろうなと。

まず、ドナーの腎臓を腹腔鏡手術で取り出します。この時点でドナーの処置は完了。早々と一般病棟に戻されます。その間にレシピエントはお腹を縦に15〜20センチほど切られ、医師は(腎臓を右側に入れる場合)レシピエントの腸を左に寄せて「3つ目の腎臓(移植腎)」を入れるスペースを確保します。それから移植腎の動脈と静脈をレシピエントの動脈と静脈につなぎ、膀胱(ぼうこう)にメスを入れ移植腎の尿管を繋げます。すべての処置が終わると医療用ボンドでお腹を閉じて手術完了。レシピエントはICU(集中治療室)に1泊し異変が起こらぬよう慎重に経過観察してもらいます。

それなりにハードな手術をしているのでダメージはあるはずでした。が、不思議とツラくありませんでした。この痛みは夫が頑張ってくれた証であり、医師が汗をかいてくださった成果だと思えたからでしょうか。「愛は鎮痛剤になる」。私がいちばん驚いたことでした。

私は25年間、病気と共に生きる生活を続けてきました。笑ったり泣いたりを繰り返しながら思うことは、病気は決して悪いものではなかったということ。むしろ与えられたものの方が大きいかもしれません。いまは病気になって良かったと心から感謝しています。

どんな時も手を離さなかった夫。ありがとう。

どんな私でも手を離さなかった夫。ありがとう。

この連載でお話するのは、そんな私と夫の腎移植体験記です。登場人物は、夫と私。そして手術が無事に決行されるまで協力してくださった家族、恩師、友人、患者さん、医師、看護師さんなどたくさんの人たちです。読者のみなさまとは、連載を通して対話できればとても光栄です。

だって、毎日毎日よくもまぁ、次々と試練がやってくると思いませんか? 仕事、家庭、子育て、恋愛、体の不調、多くのことを抱えながら一日を終えるのは本当に大変です。それでもなお「生きるって楽しいかも」「誰かを愛するってしあわせだね」そんな風にみなさんと笑いあえたなら、この連載の存在意義があると思っています。

(もろずみはるか)

この連載をもっと見る

夫の腎臓をもらった私

中学1年生の時に腎臓病になり、36歳で末期腎不全になった、もろずみさんに健康な腎臓を「あげるよ」と名乗り出たのは彼女の夫でした。手術を終えた彼女がいま思うこととは——?

この記事を読んだ人におすすめ

この記事を気に入ったらいいね!しよう

夫の腎臓をもらった妻の話「削ぎ落とされても残るもの、それは愛でした」

関連する記事

編集部オススメ

仕事と恋愛、キャリアとプライベート、有能さと可愛げ……女性が日々求められる、あるいは自分に求めてしまうさまざまな両立。その両立って本当に必要?改めて問い直すキャンペーンが始まります。

後悔のない30代を過ごしたい。ありとあらゆる分野のプロフェッショナルに、40歳から自分史上最高の10年を送るために「30代でやっておくべきこと」を聞いていきます。

記事ランキング