精神科医・名越康文さんエッセイ 第18回

人間関係のトラブルの9割は、「あたりまえを雑に扱うこと」に原因がある

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人間関係のトラブルの9割は、「あたりまえを雑に扱うこと」に原因がある

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どんな間柄でも、なるべく人間関係の揉めごとは避けてスムーズにいきたいところ。しかし、なかなかうまくいかないのが世の常です。

精神科医の名越康文(なこし・やすふみ)先生によると、人間関係のいざこざのうち9割は、「あたりまえを甘く見すぎて、雑に扱っていること」に原因があるのだそう。どういうことなのでしょうか?

「あたりまえ」とは曲者である

「だからねえ、コペル君、あたりまえのことというのが曲者なんだよ。わかり切ったことのように考え、それで通っていることを、どこまでも追っかけて考えてゆくと、もうわかり切ったことだなんて、言っていられないようなことにぶつかるんだね」

昭和を代表する知識人のひとり、児童文学者であり評論家・ジャーナリストでもあった吉野源三郎の代表作『君たちはどう生きるか』からの一節です。

内容はコペル君という少年が、インテリの叔父さんにいろんな話をして質問をぶつけるんですね。それに対して叔父さんが丁寧に答えていく。昭和12(1937)年に刊行されてから、いまも読み継がれている青少年のための人生指南書の古典です。

「青少年のための」と言いましたけど、今回引用した言葉なんか、大人でも学ぶべきことの多い哲学や教訓を含んでいると思うんです。まず、なぜ「あたりまえ」のことっていうのが「曲者」なのか?

最初にひとつ言えるのは、自分にとっての「あたりまえ」のことというのは、むしろ他人にとっては摩訶不思議なこと。「あたりまえ、でもない」くらいのレベルでは済まない。お互いの「あたりまえ」がお互いすぐには了解できない、あるいは看過できないくらいに違っていたりするものなんです。

ところが僕たちは、この「個々の違い」っていうのを、ずいぶん雑に、甘く見積もっているところがある。仕事のうえでも、個々の「あたりまえ」の違いを確認しないまま物事を進めて、それが意思疎通のすれ違いや、トラブルの原因になったりすることがよくあると思うんですね。

「個々の違い」を医学で考えてみると

「個々の違い」に関しては、人間の体質を考えるとわかりやすいと思います。単純に言うと、人によって非常に体調の改善に良いものが、別の人にとっては逆効果になってしまう場合があるということ。

たとえば柴胡剤(さいこざい)っていう漢方薬があるんです。体内の余分な熱とか炎症を緩和したり、人によっては便通や肥満、肝機能の改善にも効果があるとされている。
 
僕の知人の先生は、その柴胡剤を含んだ「大柴胡湯」をもう5年以上愛飲してらっしゃる。ところが僕の体には「大柴胡湯」は強すぎるんです。たぶん「大柴胡湯」を3日も飲むとね、気が上がり過ぎて、肩が凝ってくると思う。

ちなみに西洋医学っていうのは、その「個々の違い」を長い間ちょっと見逃してきたところがあるんですね。例えば「アスピリンはすべての人の頭痛に効くはずだ」みたいな。ある胃薬が発明されたら、これですべての人が助かるっていう発想が治療の基本にある世界なんです。

僕が新米医者だったころ

でも、現実はそうじゃないんですよね。効く人もいれば効かない人もいる、効き目が強い人も弱い人もいる。ところが僕が20代の若いころ、西洋医学ばっかりやっていた時期はね、そこがわかっていなかった。他のお医者さんはもっと謙虚なんやろうけど、僕なんか自分の処方した薬が患者さんに効かなかった時は、「なんで効かへんのや!」ってすっごい苛立っていたんですよ。

もちろん薬の効き目というのは、患者さんの生活習慣との関連が重要でね。食事なんかもちゃんと栄養バランスまで診てあげることがホンマは大事なんやけど、医者っていうのはとかくね、薬で何でも治せるとどっか思ってるところがあって。例えば、その患者さんがすごく偏食なことにハッと気づいたら、「毎日の食生活を正しくしないと無理ですよ」って。そこをじっくり深めていかないといけないんですけどね。

でも本来は、この薬を飲んだらピタリと治る。少なくとも症状はずいぶん改善あるいは緩和される。それが効かないのは患者さんの生活習慣のせいではないか? そこまでは気付いていても、新米医者のころの僕は、そこから先は五里霧中だったんですね。

ところが30歳過ぎて、東洋医学を少し齧(かじ)り出した。そうすると、漢方っていうのは最初にその人の体質を診るわけです。この患者さんは陰か陽か、とか、湿か乾か、とか。体質というのはね、「あなたは高脂血症で脂質が高いです」とか、「ちょっと糖尿のきらいがあります」とか、そういうのではないわけ。それはパーツの不具合に過ぎない。

体質というのは、その人の脈を診たり、舌を診たり、眼房を診たり、健康状態を総体的に診てつかむもの。それがすべての診断の根幹をなすっていうのが東洋医学の特徴なんです。いまになって思えば、シンプルな事実です。でも僕はこれを知った時、本当にびっくりしたんですね。「なんや、ほんなら効く薬も、個々でそれぞれ違うんや!」と。

それこそ「あたりまえ」のことに驚いているようですけど、僕の「あたりまえ」は全然違うものだった。なんかね、ひとつの学問なりジャンルを専門でやっていると、意外にこういう視野狭窄に陥りがちになるものなんです。

「信じられない!」と口にしてしまう時

それまでの自分は「この病気には、はい、この薬」。ところが人間には個々の体質、つまりそれぞれの個性があって、イメージで喩(たと)えるなら、夜空のような青色から朝焼けのような赤味まで、いろんなカラーの世界が体の中に広がっている。

僕の友人に漢方の大家がいて、その人に掛かると、一見同じような病気に見えても、全然違う薬を出したりするんです。それがまたピターッと合うことが多かったりして。

西洋医学といえば、物事の真理を客観的に見据えようとする自然科学から発展したものですけど、こうして考えてみると、東洋医学の発想のほうがずっと本当の意味で科学的かもしれませんね。ひとりひとりの体質は違う、そこを踏まえて個別に出発するわけですから。

個人史的に言うと、まさに漢方というものを知った時こそ、僕が人生で最初に「あたりまえ」っていうことが「あたりまえ」ではない、ってことに気づいた。そんな驚きと喜びの瞬間でした。

冒頭の吉野源三郎の言葉に戻ると、「わかり切ったこと」っていうのも同様です。自分にとって「わかり切ったこと」でも、他人にとってはそうではない。逆に他人にとって「わかり切ったこと」が、自分はまったくわからないこともある。

これって言い換えると、どういうことか? つまり世の中に「絶対」ってことはありえない。すべての「あたりまえ」は相対的なんです。

ところが僕たちは、自分の「あたりまえ」を「絶対」のものだと無意識に思い込んでいることが多い。これはよっぽど戒めておかないと、自分の「あたりまえ」に合致しない事柄や意見にぶつかった時、「信じられない!」って言葉をつい簡単に発しちゃうんですよ。

そのためにも人間のタイプ、あるいは思考や感情のクセの種類にはどんなものがあるのか、ざっくりとでいいから知っておいたほうがいい。

自分を「類人猿分類」してみると…

そこで自分のアイデアを出すのは僭越ですが、僕は「類人猿分類」というオリジナルの性格診断をやっているんです。人間のタイプを「ゴリラ」「オランウータン」「チンパンジー」「ボノボ」という4種類のお猿さんに分けて、それぞれの大まかな傾向をわかりやすくイメージしていこう、というもの。

その分類で言うと、僕はかなりオランウータン。内側には情熱があるのですが、人の感情には流されずマイペースで、単独行動するタイプ。物事に取り組む時は、自分の中での納得や達成というものをすごく大事にする気質です。

それとある意味、対極にあるのがボノボ。喜怒哀楽が豊かなこのタイプの人たちは、他人、あるいはみんなの感情と同調することに大きな喜びを感じるんですね。

例えば、僕が甲子園球場に行って巨人対阪神戦を観戦しているとするでしょう。それですっごい接戦とかになって、みんながうわ~っと騒いでる時に、自分も一緒になって高揚することって、ゼロやねん。スタンドをあげて熱狂しているような時は、ホンマに申し訳ないくらい醒(さ)めてるんです(笑)。

でも自分の中で「今のあのプレイはすごい!」とか感動することはよくあって、そういう時、横にいる自分の友人が「お~っ」とか声をあげていたら、「あっ、こいつも感動してんのやな」と嬉しくなってしまう。自分の友人にはそういうことを思うけど、ただ5万人の観客に同調してしまう感覚っていうのが、まったくないわけ。

一方、ボノボさんタイプの僕と対極にあるような感性の人たちっていうのは、「わ~っ!」っていう高揚や熱狂の中で、自分が観衆と一体になることに人生の感動を得ているんですね。だからもしボノボ気質の人と一緒に僕が野球の試合を観に行ったとして、たまたま逆転ホームランが出ても「おお」くらいは言うだろうけど、特に盛り上がりもしない僕を見て「名越先生、寂しい人生ですねえ」って言うと思うねん(笑)。いや、僕は僕なりにめっちゃ楽しんでるんですけど、と言っても、たぶんピンと来てもらえない。だって「楽しみ方」がまるで違うから。

ちなみに他の気質も簡単になぞると、チンパンジーはいつも競合的で、勝ち負けにこだわりたい人。声も大きくなりがちで、主張もあり、頼りになるけど前しかみていない人ですね。

ゴリラは、物事を慎重にみるところはオランウータンと一緒なんやけど、オランウータンよりずっと周りを気にする。みんなが上手くいっているかをいつも気にかけていて、心を砕く。でも自分は機転がきかなくて、仕事なんかはすべて一から教えてもらわないと動けない。一度基礎をちゃんと習得するととてもよく働く人になるけどね。

どこまでも追っかけて考えてゆくこと

こんな具合にね、やっぱり「あたりまえ」というのは、人によって全然違う。それをいつも念頭に置いておけば、人間関係も不要な衝突が少なくなるし、スムーズに行くという有益性がひとつあると思います。

しかもね、さらに話を突っこんでいくんですけど、じゃあ自分にとっての「あたりまえ」は、自分の中においてはもう既成事実でいいのか。これが実は、自分にとっても「あたりまえ」じゃなかったっていうことが、よくある。

つまり自分の中の「あたりまえ」が揺らいだり、覆されたりする。これって、吉野源三郎が言うように「どこまでも追っかけて考えてゆく」ことで起こり得る。ひとつの「発見」や「気づき」のことなんですね。

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精神科医・名越康文さんエッセイ

20代の時より知識も経験も身について、どんどん仕事が楽しくなってくる30代。ついつい心の声を無視して頑張りすぎてしまうこともしばしばです。そんな働き女子の力みがちな肩を、精神科医の名越康文(なこし・やすふみ)先生がゆるーく揉みほぐしていく連載エッセイ。一生懸命だけど頑張りすぎない働き方のヒントが見つかるかも。

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