精神科医・名越康文さんエッセイ 第16回

お金持ちからの贈り物はガッカリ率が高い 金銭感覚はその人の歴史

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お金持ちからの贈り物はガッカリ率が高い 金銭感覚はその人の歴史

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ジューンブライドで結婚式が多い6月。引き出物など、贈り物を受け取る機会も増えるかもしれません。そんな時、期待していたのに「ガッカリ……」なんてこともよくありますよね。

精神科医の名越康文(なこし・やすふみ)先生によると、「この人からの贈り物はすごいはず」という私たちの期待には、ちょっとしたトリックが潜んでいるそう。どういうことなのでしょうか?

金銭感覚はその人の歴史

「どんな大金持ちでも、贈り物のことになると、妙にしみったれて、出し惜しみする人がいるもんよ」(サキ)

イギリスの作家、サキの短編小説『毛皮』からの一節です(『サキ傑作集』所収)。これ、女性ふたりのガールズトークみたいな流れで出てくる台詞なんですよね。自分の誕生日を控えているスザンナに、大金持ちのおじさんがプレゼントをくれるらしい。それを受けて、エリナーが上記の台詞を言うんです。要は、いくらお金持ちでも豪華な贈り物をくれるとは限らない。特に自力で成り上がった人って、プレゼントを贈る感覚だけはお金がなかった頃のままで、こちらの検討違い、期待ハズレなものを渡されるかもしれないよ、とね。

これ、なんかわかる気がしません? 

金銭感覚ってその人の歴史。そういうとこありますよね。例えば、叩き上げの大実業家で、小さい頃はお金に苦労したと。お母さんが必死に働きながら育ててくれた当時、贈り物といえばささやかだけど愛情のこもったものだった。しかしそれは、いまの彼の生活レベルからすると、他人にはケチ臭いと思われかねない。

でもね、保護者の環境のもとで育てられた10歳とか15歳までの生活習慣というのは、やっぱりなかなか抜けへんと思うんです。

僕自身は商店街の息子として育ったんですね。商店っていうのは人前に立つでしょう。だから親に、着ているものはいつもちゃんとしなさい、って言われていた。でも食べることに関しては、商店街の息子ってさくさくっと食べなあかんわけ。だって商売は時間が命、お客さんが来たらすぐ対応しなくちゃいけませんから。親も、昼ごはんなんか10分で終わってんねん。いつもせわしなくて、「あんた、はよ食べや!」の世界なんです(笑)。

そうするとね、僕はいまでも、その生活習慣って抜けないねん。食べるものに時間やお金をたっぷりかけるって、あんまりしない。でも身だしなみに関しては、人にちゃんと清潔感を与えるような格好をしていないと失礼だと思うし、安価でもなるだけ上質な服を着ようと心掛けている。

一方、僕と同じような文筆業とか出版関係の仕事をしている人の中には、服装はいつもラフで無精髭伸ばしっぱなし、でも食べ物は結構グルメで、豪勢でええもんを人におごったりするタイプもたくさんいるんですよね。

これってやっぱり生い立ちの中で育まれた金銭感覚やと思う。これまでの人生、あるいは人格形成の中で、どこにお金を比較的かけてきたかってことの延長線にあると思うんですね。

人生の最後に何を食べたいか?

いまの話をちょっと応用しますと、例えば「人生の最後に何を食べたいですか?」っていう質問なんかをするとね、日常的に高級料亭に通ったり、1本10万円のワインを平気で開けたりするような人が、意外にすっごい庶民的な食べ物を言う時があるんですよね。塩おむすびと味噌汁とか、ふかふかの食パンとかさ。そうでなくてもけっこう、みんなそういうシンプルなものを言いますね。僕は「卵かけごはん」かな(笑)。

もちろん、手の込んだものを食べたい時もある。こないだね、ミシュランに選出されている大阪の創作料理のお店で、お食事させてもらう機会があったんやけど、もう一品一品が驚きの連続で。こんなの、よく作ったな!っていう素晴らしく美味しいものをたくさん食べて、やっぱりそうすると、ものすごく贅沢な気持ちになるんです。こういうお店を選んで行く時の動機っていうのは、きっとその日を特別な一日にしたいからですよね。

単にみんなでわいわい呑みたいだけなら、美味しい居酒屋さんの一軒くらい誰でも知っているわけでしょう。でも「記憶に残したい」って時に、ちょっと特別な店に行く。

だけど、その何万円かのコース料理と、お腹がぺこぺこに空いた時の卵かけごはんの美味しさは、比べようがない。どっちも別ものの幸せなんですよ。

そうすると、たとえどんなお金持ちでも、いまは毎日のように美食に親しんでいる人でも、急に自分のルーツみたいなものが出る局面があるってことなんですね。

そういう時、お金という価値が瞬間的に無効化する。金額がついていると数値的に比較できるけど、原価50円の卵かけごはんは、1万円のうなぎの超特上に比べたら200分の1の価値であるとか、そういうもんじゃないわけ。しかも1万円のうなぎがいくら美味しくても、それを10人前食べろ、と言われたら辟易するだけ。逆に苦痛になってしまう。

みんなが忘れている「最高の隠し味」

なんでこんなわかりきったことを言うかといえば(笑)、僕たちの感覚には限定的な幅があって、決して無制限に振り切れてしまうことはない、ってことなんです。

感覚には限定的な幅がある。僕ね、自分の中で最初にこれが腑に落ちたのは、あるテレビ番組に出た時のことなんです。その番組内で、カレーライスのおいしい作り方っていう企画をやっていたんですね。

家庭用のカレーに、あなたはどんな隠し味を入れますか?っていう話になったんです。人によってはチョコレートを入れる、ヨーグルトを入れる、すり下ろしたリンゴを入れる。あとはお醤油とか、そういったところが定番の隠し味ですよね。

ところがこれって、単純に入れたら美味しくなるってもんでもない。隠れないくらいの量や種類を入れたら、逆にマズくなってしまう。

結局、みんなが一番忘れているのはね、カレールウの箱の裏に書いてある基本的な作り方、つまり、「何も足さない」作り方なんです。それをちゃんと作ることこそが、実は非常にいい線に行くという。

その「基本的な作り方」の中で僕がびっくりしたのは、野菜をぐつぐつ煮て、カレールウを入れる時は火をいったん消すってこと。これ、知ってました? それをちゃんとやると、お鍋の温度が少し下がってルウが綺麗に溶けるんです。高温のままルウを入れると、ルウの中の小麦粉が膜を作って溶けにくいし、ダマになりやすいんですって。

ルウを入れる時のちょっとしたひと手間。たったそれだけで、何も足さなくてもじゅうぶん美味しい。

よく考えたら、日本にカレールウというものが作られて、何年経つ? 戦後すぐから家庭用カレールウの販売が始まっていたらしいし、昭和30年代には今の形と同じ固形タイプのものが完全に普及していたわけでしょう。その長い歴史の中で企業はさんざん工夫しているわけ。そりゃあ一般的な相場がだいたい何百円って決まっているから、あんまり高価な素材は使えないにせよ、やっぱり決められた枠組みの中では、何百、何千という試験をして、研究に研究を重ねたうえでのルウなわけですよね。

その完成度を甘く見てはいけない。すっごい英知のかたまりと言ってもいいくらいやねん。

僕ね、番組でそのことを聞いた時、「はあっ」と思って。もう、手を打ったわけ。なるほど、カレーはちゃんと作ったら、それだけでめっちゃ美味しいんやと(笑)。それは僕たちの感覚の幅の中では最上のものかもしれなくて、別に隠し味とかちょい足しなんか、全然必要ないかもしれないんです。

幸せには限界がある

自分たちの感覚を満足させるためには、必要以上のもの、過剰なものはいらない。むしろ邪魔になる。実は人生にこういう例は少なからずあると思いますね。

例えば収入においてね、世界中のあらゆる国が極端な格差社会になっていると。じゃあ、どれくらいの収入があったら一番幸せなのか。あればあるほど幸せなのか? それとも、お金がなくても人は充分幸せになれるのか?

だいたいね、世の中で一番幸せなのは、その真ん中あたりやねん。

日本でもアメリカでも、年収ごとの幸福度調査というのをよくやっているんですよね。結果は調査によって多少異なるんですけど、だいたい共通して幸福度のピークは年収1000万円くらいなんです。それ以上の収入になると、2000万であろうが5000万であろうが1億であろうが10億であろうが、ほぼ幸福度は変わらない。

個人的な見解でいうと、むしろ面倒臭いことが増えて幸福度は減少していたりする。その意味で、やっぱり「中流」というのが経済的に最も幸福なバランスなんですよ。

これは僕に言わせると、当たり前のこと。幸せって、何で感じるかというと、一番わかりやすいのは五感なんですよね。例えば、質のいいカーペットのうえに寝転ぶと、皮膚感覚、あるいは身体の感覚がすごく心地良くて癒される、とか。暑い日にアイスクリームを食べた時、その冷たさと甘さ、なめらかな舌触りにポ~ッと陶然となったり。あるいは、素晴らしい景色とか視覚から入ってくるもの。嗅覚から入ってくる素敵な香り。

これは仏教でいうと「眼耳鼻舌身意 (げんにびぜつしんい)」(般若心経)。五感で感じること、それが僕たちの最もカジュアルに味わえる「その場での満足感」なんですよね。

でも感覚というのは、範囲がある。限界点がある。それは光が赤外線や紫外線になると目に見えなくなるように、「快」の範囲はかなり限定的に決まっている。

そうしたら、いくら大金持ちでも、いや、むしろ大金持ちやからこそ、「幸せも快楽も限界があるなあ」ってことを、ある諦念(ていねん)と共に痛感しているかもしれない。

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精神科医・名越康文さんエッセイ

20代の時より知識も経験も身について、どんどん仕事が楽しくなってくる30代。ついつい心の声を無視して頑張りすぎてしまうこともしばしばです。そんな働き女子の力みがちな肩を、精神科医の名越康文(なこし・やすふみ)先生がゆるーく揉みほぐしていく連載エッセイ。一生懸命だけど頑張りすぎない働き方のヒントが見つかるかも。

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