『子どものまま中年化する若者たち』著者・鍋田恭孝さんインタビュー(前編)

増殖するメンヘラ女子は“病みきれて”ない? 精神科医が分析する「若者がなんとなく生き辛い」理由とは

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増殖するメンヘラ女子は“病みきれて”ない? 精神科医が分析する「若者がなんとなく生き辛い」理由とは
鍋田恭孝さんインタビュー

鍋田恭孝さん

「新型うつ」の若手社員、摂食障害や、リスカットを繰り返しながらも、一見「普通」にみえる若い女性など、どこか「生きづらさ」を抱えているように見える、現代の若者たち。そんな若者たちを、さまざまなデータや臨床の知見から分析した書籍、『』が、医学博士の鍋田恭孝さんにより刊行され、注目を集めている。長年、多くの若者の「病」と向き合ってきた鍋田氏に、現代の若者、特に「女性」の生きづらさについて聞いた。

「大きな物語」に駆り立てられてきた日本人

――先生のご著書によると、明治時代から高度成長を経て、バブル時代が終わった80年代に分水嶺があった、とのことですが、長期的に見て、どのような変化があったのでしょう。

鍋田恭孝さん(以下、鍋田):明治維新以降というのは、日本の歴史の中でも珍しい時代です。外国に追いつけ追い越せで社会が変わっていって、勉強すれば上に行けました。男性なら陸軍将校にもなれた、とかね。戦争に負けて、そうした「大きな物語」は終わったという見方もありますが、当時の精神性は戦後も変わらなかった。皆が理想とする上昇志向的な生き方が、「企業戦士」に変わったんです。戦後は、アメリカが理想のモデルになりました。当時のアメリカは輝いていたんですね。テレビ放送が始まり、ホームドラマの「標準的な家庭」と、自分たちの生活が全く違うと感じました。そんなアメリカに対して、我々の世代は「追いつけ追い越せ」。戦前の「富国強兵」から、戦後は「豊かな消費社会」こそが、幸せの基準になったのです。

ところが、ベトナム戦争もあって、「アメリカは実際、そんなにちゃんとした強い国じゃない」ということが分かってきた。バブルが弾ける前あたりから、様々な価値観が相対化し始め、そして90年代。「いい学校に入っていい会社に入れば幸せになれる」とか、「こうなれば幸せになれる」というアメリカ型のモデルを信じていればよかった時代が終わったんですね。バブル崩壊以降、全部が「それなりでいいんじゃないか」となって、手応えのある強烈な幸福感や達成感は、希薄になったのです。

親の価値観の「押し付け」から解放された子どもたち

――親の方も、アメリカ的な幸福の基準を信じていましたよね。

鍋田:高度成長期以降は、教育ママが出てきて子どもを良い学校、良い会社へ行かせようと頑張っていましたが、それが要因で苦しむ子も増えました。70~80年代に私が、思春期の子たちを診察していた頃は、家庭内暴力や校内暴力が多かったんですよね。親側も「しゃかりき」になっているので、抑えこむパワーがあった。その親のパワーによって、潰れる子どももいましたが、ぶつかった上で潰れるから、子どもの方もエネルギーがあったんですね。ただ、バブル崩壊後は、親も「絶対にこれをすれば幸せになれる」という考えが弱くなっていったので、「それなりに、そこそこやっていく」という教育方針の家庭が増えました。塾にもそれなりに通わせる。すべてが相対化されて、「それなり」。すると、子どもも親も、エネルギーを集中させる所がなくなっちゃうんですね。そんな80年代後半に、青春期、思春期を迎えた人たちが、今、親になり、その子どもたちが現在、思春期に差し掛かっています。

社会から「理不尽さ」が消えた!?

――価値観が相対化した時代の親は、「自由にやっていいよ」という方針で育ててくれる。でも、子どもは何となく閉塞感を感じてしまう。その要因として、先生は「社会から『理不尽さ』がなくなったからだ」と書かれていらっしゃいます。

鍋田:戦後、社会から「理不尽さ」がなくなったのは、良い意味でもあるんですよ。体育会系の「しごき」とか男女差別も、まだありますが、昔よりはだいぶ減った。戦争というのは最大の理不尽ですが、貧困もそうですね。最近は「新しい貧困」も出て来ましたが、私が小さい頃は、本当に貧しい人が目に見えるところに沢山おられましたから。それに対して「何とかしなきゃ、社会を変えよう」と、掻き立てられるような怒りが、若者の間にはありました。しかし、今は多くが消えていっています。

鍋田:その代わり、出てきたのは「自己責任」。貧しいのは自分が努力しなかったせいだと。「理不尽」って、自分ではどうにもならないものじゃないですか。世の中のシステムとして、「大きな理不尽」はなくしてきたと思うんですね。それが今は、「個人的な理不尽」になった。今の若者たちには、空気を読まないとダメだというような、真綿で首をしめられるような辛さがある。理不尽だと怒りや必死にならざるを得ないのですが、それとはまた違う辛さを感じている若者が目立ちます。

「メンヘラ女子」が出てきた理由

――先生がご著書の中で、「病み切れなさ」というキーワードを指摘されていたのが印象的でした。若い人を中心に「メンヘラ」というカテゴライズがあり、それは深く病んでいる子のことを言うのだと思っていましたが、「病み切れなさ」という言葉で表現されている若者たちこそ、ネットで言われる「メンヘラ」なのかなと。

鍋田:うつ病でも、昔ははっきりとした症状があったんですが、今では「なんとなく鬱」が増えて来ているんですよ。それを「病み切れない」と表現していいのかはわかりませんが、私はそう呼んでいます。旧来型の鬱は、必死に自分の役割を果たそうとしているうちに悪化していくタイプが多い。でも、今の若者は「必死」にはならないんですよ。問題に敢然と向き合うというのではなく、それなりに向き合うので、しっかりとした症状は出ない。「自分は鬱です」と、はっきりしたものではないんですが、鬱っぽいとか、摂食障害でガリガリに痩せるということはないけれど、眠れなくて食生活に不満があるとか。本当のメンタルヘルスの問題まで行かないけれども、手前の「部分的な症状」を持っている人が増えたことは確かです。それを、自虐的に「メンヘラ」と言ってるんじゃないでしょうか。

>>【後編に続く】完璧な人生設計が鬱を招く――ふわふわ生きる「クラゲ化」が賢い若者を救う

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