奔放に生きたいけど、幸せは貞淑の先にあると信じたい【女心の変遷】

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奔放に生きたいけど、幸せは貞淑の先にあると信じたい【女心の変遷】

「#両立って必要?」
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【#両立って必要?】

仕事と恋愛、キャリアとプライベート、有能さと可愛げ……女性が日々求められる、あるいは自分に求めてしまうさまざまな両立。理想の自分になるためにがんばってはいるけれど、時々しんどくなってしまうことも。

今回、Duniakitaでは、そんな悩ましい両立について、改めて問い直してみるキャンペーンを始めました。その両立は貴女の人生に本当に必要なものなの? 貴女が幸せになれる両立ってどんなカタチ? 一度、一緒に考えてみませんか?

「貞淑さ」と「奔放さ」も、いまだに女性に求められているような気がする“両立”の一つ。本来相容れないはずのふたつの女の生きざまについて、イラストレーターでライターの吉田潮さんに書いていただきました。

白の三つ折りソックスの女

県立の高校に通っていた。ブレザーにジャンパースカートというダサい制服はあるが、シャツも靴下も靴も髪形も自由。オシャレな女子はラルフローレンの紺色ハイソックスとか、ルーズソックスの前身のような靴下を履いていたっけ。そうでなくても、靴下でそれぞれが個性を出していたと思う。当時、中学校の校則では白い三つ折ソックスが定番だったから、高校に入ったらこぞって違うモノを履きたがったのである。

ただし、白の三つ折ソックス女子も少数だが、いた。そのうちのひとりは清楚な印象で、男子にも人気があった。彼女には彼氏がいるらしく、放課後になると部室でちちくりあっているという噂があった。この話を別の学校の友人に話したところ、

「男は白に騙されるんだよ!白の三つ折ソックスの女ほど信用ならねえ!!」

と言っていた(ホントはもっとひどい言葉だったのだが、大人なので表現は控える)。男子にとって清楚・純粋・貞淑のイメージをもつ白は、女にとっては「偽装・擬態」あるいは「武装」ととらえられることもあるのだと知った。約30年前の話ではあるが、今回のお題を考えるにあたって、久しぶりに思い出した次第。

奔放と貞淑、どっちが生きやすい?

見るからに自由奔放な女と、清楚で貞淑に見える女。さて、はたしてどっちが生きやすいのか。どっちが得なのだろうか。

前者は誤解されることも多いし、勝手なイメージで「品がない」「だらしない」となぜか蔑まれるリスクはある。男性からというよりは女性から、というのも不思議だ。

ただし、世の中とは面白いもので、そんな女が料理上手だったり、やりくり上手のしっかり者だったりすると、株がグンと上がったりする。なんだそりゃ、と思うのだが、世間はなんだかんだいっても「良妻賢母タイプ」が大好きなのである。個人的には、その心根が気持ち悪いと思うのだが。

で、後者。清楚で貞淑に見える女は、男ウケがいい。親ウケもいい。第一印象はいいものの、時がたてばこぞって本音を探られるし、アラ探しされる。清楚で貞淑であるはずがない、ぶりっこしているだけだという前提で、秋田のなまはげのごとく、「好き者はいねが~」とチェックされるのだ。ちょっとでも性的に媚びたしぐさがあれば、「カマトトぶりやがって!」と集中砲火を浴びる(あ、ぶりっこもカマトトも死語?)

あるいは課されるモノが大きくて、現実とのギャップに困るともいう。以前、知り合った女性が清楚で貞淑に見える人だったのだが、ご本人はかなり迷惑だと言っていた。「なぜか知らないけど、家事全般が得意そうに見えるらしいんですよ。私自身はできないし、超苦手なのに……期待されても困るんです」

得とか損とか考えても不毛なのだが、たぶん、「奔放」も「貞淑」も、女の心の琴線に触れる「愛と憎しみのキーワード」なのかもしれない。相反する性質というか性行動というか性癖というか。これについてちょっと考えてみたい。

時代を遡ってみると…

少し時代を遡って「奔放」と「貞淑」についてみよう。

80年代のバブル期を生きた先輩女性たちは、奔放に見えて中身は超保守的だったことを目の当たりにして、ちょっとがっかりした記憶がある。あの頃のパリピみたいな先輩女性たちは、みな結婚して貞淑な妻というポジションに収まった感もある。年収や条件で結婚し、結局は伝統や慣習に従った。古い価値観を払拭したように見えて、どっぷりつかっていた。離婚する人も多かったというオチもあるんだけど。

90年代は最も奔放だったと思う。長い不景気の閉塞感の中、女が主語の文化を築いた印象がある。ボディコンでオンナ性をむき出しにするよりも、着心地のいいグランジファッションで個性を出す。超高級ブランド志向もかなり薄れた。真っ赤な口紅にトサカ頭のワンレングスは廃れ、コギャルが「女の子主体」の消費活動を産んだ。ヤマンバメイクで滑稽さと媚びない強さを身につけたりしてね。女性誌ではセックス特集が流行り、バイブレーターを買って積極的に自分の快感を求めた時代。社会全体は元気がないけれど、女性がたくましく元気だったよね。

2000年代から今にかけては、揺り戻しというか、再びバブル期のような貞淑が求められる時代になった気がする。貞淑だけでなく可愛げも包容力も稼ぐ力も家事能力も、そして良妻賢母までもが求められる時代になったような。ねえ、キツくないっすか?

自分の中にいるふたりの女

奔放か、貞淑か。

もしかしたら、自分の中に「奔放になりたくてもなれない自分」と「貞淑でなければいけないと思う自分」がいないだろうか。こうありたい、こうでなきゃと思いこむ自分と、世間や周囲から求められる自分、それを演じて疲弊している自分。自分の中にはいろいろな女が同居しているんだよね。

たとえば、周囲にいる奔放な女性をどう思うか。恋愛に積極的で、不倫だろうが二股だろうが厭わず。リスクも背負っているが、本人はとても充実していて楽しそうだ。「いいなあ」とうらやましく思う反面、「ああはなれない、なりたくない」とも思う。「バカだなぁ」とも思う。そんなふうに、心のどこかで奔放を蔑む自分がいないだろうか。

一方、貞淑な女性。男性のために操を立てて、おしとやかに振る舞う。そうしてたら浮気されたなんて話も山ほど聞く。セックスレスになった話もたくさん聞く。自分の欲望や個性を押し殺している人も少なくない。

さらに、貞淑な話は思いのほか面白くなかったりする。恋人や夫に尽くす話はただのノロケになって、誰も聞いちゃくれない。「なんかつまんないな、あたしの人生」と思ってためいきついたりしないだろうか。

貞淑の先に幸せがあると信じたいけど

今、不倫が大ブームである。もとい、不倫バッシングが大ブームである。というか、不倫ブームに仕立て上げられているふしもある。国会議員に芸能人、次々と暴かれる不倫スキャンダルを扱うと、売れる、PV稼げる、話題になるから。

みんな頭のどこかで「不倫ダメ、ゼッタイ」と思いながらも、他人の不倫は大好物。なぜなら奔放の先に何があるのか、知りたくてしょうがないから。奔放の先には不幸があるべき、悪い女は(男も)罰せられなければいけないと思っている。でも、どこかで好き勝手に生きていてうらやましいわと思っていたりする。

逆に、貞淑の先には幸せが待っているのだと信じていたい。でも、そうじゃない幸せがあるのかも……とも心のどこかで思っている。すべての貞淑な女が得をするかどうかは正直わからない。自分だけ貞淑でも相手が奔放だったら、一生負の感情に苛まれそうな気もする……。

私もかつて奔放だった。その結果、離婚して、家を追われ、慰謝料も払った。自分でもバカだなぁと思うし、バカだなぁと言われた。周囲からは嘲笑の的だったし、自業自得だ、としばらく距離を置く人もいた。が、後悔はない。

私の離婚後に母が俳句を詠んで手紙で送り付けてきたことを思い出す。

「子らはみな 自由に生きて 冬深し」(※奔放にするか自由にするか迷いました)

と書いてあった。奔放ではなく自由という言葉を選んだ母。そこには、貞淑を貫いた自分の人生と、娘の奔放さに対する複雑な思いがあったのだと思う。

奔放を咎めたり罰したりする理由は何なのか、貞淑を当たり前のように礼賛する理由は何なのか。自分の中に同居する女たちにぜひ尋ねてみてほしい。

(吉田潮)

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